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執筆者の写真Mariko Hirai

自分って どんな人だと思っていますか?


自分って

どんな人だと思っていますか?

先日、

Facebookグループのボケフォトファン

第10回お写ん歩懇親作品展(東京丸の内編)

に参加したのですが、

グループ主幹管理人の堤一夫さんと、

写心の浅井修二さんのトークショーがあり

興味深いお話を聞かせていただきました

『作品は発表された時から自分から離れて他人のもの』

どういう想いで撮影したとしても

発表した途端、自分のものではなくなる

見た人が 感じたことが その作品になる

というようなお話でした

わかります?

自分ではなく、受け取る相手が感じること

それが、例え、自分の想いとは かけ離れていても

受け取る側が そう感じるなら

その作品は そういうものなのだ

というようなこと

自分の手を離れてしまったら

自分の想いなど 関係ない

この話を聞いた時、

最初、違和感 あったんです

作品は あくまで 作家のもの

作った人のもの

そう思っていたので。

作品を作った時のエピソードや 想いを

伝えたいと思うよね

って。

でも、確かに どんなに想いを込めても

受け取る人は その作品を見て

自分の感覚でしか 感じることができないんだよね

作品にキャプションをつけたとしても

想いが100%届くとは 限らない

今日のこの写真

ボケフォトグループに投稿したら

コメント欄に

「せつないね」

と 書いてくださった人がふたりいたんです。

私は、3日間、このコスモス畑に通って

夕方、空が黄金色になってきて

シルエットの中に

コスモスの

小さな小さな お花の芽を見つけて

めちゃくちゃ ワクワクしていたんです(*^^*)

そのワクワク感を 出しているつもりだったのに

「せつない」と 感じる人がいた

この時、「いいね」してくださった1,650人の中で

私の想いが伝わった人は どれくらいいるだろう?って 思ったら

作品は手を離れて 一人歩きしていくんだなあと

実感しました

決めるのは 私じゃない

見てくださった人

だとしたら、

わかりやすく伝わるように 発信していかなければ・・・と

思います。

これって、

作品だけじゃなく 人も同じかな?

自分の顔とか見た目って

自分では どうしようもないって 思ってきたけれど

人は 見た目

見えている部分でしか 判断できない

「いや〜〜、それは誤解ですよ。私は本当はこうです」と

いくら思っても、

目の前の人が 自分を見て

あるいは、一枚の写真を見て 私という人を判断しているんですよね

とすれば、

人前に出る自分の容姿にも責任を持って

自分はこういう人ですと わかりやすく伝える努力をしなければ・・・と

今更ながら、思った今日この頃。

「いつも泣き顔の人」

「いつも困った顔をしてる人」

「いつも不機嫌な顔をしている人」

って 感じる人と

「いつも素敵な笑顔の人」

「いつも大きな口を開けて楽しそうに笑ってる人」

「なんか幸せそうな人」

そう感じる人がいる

なんか幸せそう

そう感じてもらえる 私でいたい

今日も ありがとう 素敵なあなたへ おやすみなさい 明日もいい日になりますように

おやすみ前のほっとタイム

〜今日一日、頑張ったあなたへ〜

17/1000

MarikoHirai*Photograph

【日が暮れる頃】


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